dosa cushion
2015.07.20 Monday
今年の4月、L.A.をベースに展開しているファッションブランド"dosa"の新作クッション開発のため、5日間L.A.に滞在した。期間中はdosaのデザイナーでありオーナーのクリスティーナの家に泊めてもらい、2軒隣りのアトリエとを行き来する日々を過ごした。
以前にもdosaについてはこのblogで紹介したことがあるが、そもそも僕がdosaを知り、興味を持ち出したのは約5年前の事。洋服でもバッグでもなく、あるクッションを表参道のお店で見た事がきっかけだった。一見何の変哲も無いクッションに見えたのだが、よく見ると驚きの縫製が施されており、自分にとってdosaはファッションではなく、プロダクトという分野での見方に変わった。そこからデザイナーのクリスティーナに対する興味が一気に高まった。
それからほどなくしてL.A.に行く機会が訪れ、友人を通じてdosaのアトリエを訪ね、ようやくクリスティーナと話すことが出来た。例のクッションを話題に出し、何とか一つ購入したいとお願いすると、サンプルしか無いと言いながら大事な一つを譲ってくれた。
これがそのクッション。一見みるとコーディロイのような生地に見えて縫われている事に気付かない。中心から外に向かって四角い渦巻き上に縫製が施されている。糸の幅は約2ミリほど。裏もマチの部分も全て縫われている。
帰国後、dosaからクッションを出したいという思いが膨らみ始め、スケッチを重ね、サンプル製作に乗り出した。イメージとしてはマチを使わず、コーナー部分を立体的なアールで仕上げるという単純なもの。しかし出来たサンプルを友人に見せたところ、反応はイマイチでシンプル過ぎるとの意見が多く、自分でもそうなのかと少し諦めて机の上に置いて眺めることにした。しばらくの間、作業を中断してしまった。
それから数ヶ月後のある日、いつものように自転車を担いで建物の階段を上がってアトリエに向かっていると前方からなんとクリスティーナが突然現れた。一瞬状況を把握できなかったのだが、次回のdosaの展示会場の候補として僕のアトリエのあるものづくり学校が選ばれていたということだった。アトリエを見たいということになり、招き入れたその瞬間、彼女はあのクッションのサンプルを見つけ、"素晴らしい!是非dosaのクッションとして作りたい!"と言い出したのだ。これだけの偶然が重なる事があるのかと自分でも驚いた。
当時の状況。左端に置かれたピンク色のクッションが僕の作ったサンプル。
諦めかけていたデザインは生き返り、僕も"dosaのために考えたんだ!"とここぞとばかりに応えた。しかし友人達には伝わらなかった僅かな表現を彼女が見出してくれた事は本当に嬉しかった。
それから約2年の月日が流れ、今年になってある物件に納入したいとのことで本格的に製作の話が浮上し、4月に呼ばれてL.A.に行く事になったのである。
L.A.に着いた当日はクリスティーナが車で空港まで迎えに来てくれて、そのまま美術館やギャラリーを周り、L.A.を満喫させてくれた。しかしリラックスモードは一日で終了。翌日から製作の日々が始まる。
当初は日本から用意していったパターンの用紙を見せてすぐにも作業は終わるものと想像していた。しかし、複雑過ぎると言う理由でやり直し。パターンは更に簡略化し、製作に時間を掛けないで済む方法などを更に考慮して作業を進めた。基本的には全てのdosaの商品は彼女がまず自分でサンプルを仕上げる。それで時間や難易度などを確かめてスタッフに説明する。生地を染めて、乾かして、作る行程まで自分の手で行なう。それがdosaの普段の進め方なのだ。
大体、スタッフの多くは定時の5時頃に帰るが、我々は毎日深夜まで作業を続けた。僕が紙でパターンを模索し、それを生地にし、彼女が縫うという作業が繰り返された。
石ころクッションのスタディ。シンプルだけど少し凹凸があるパターンにしたいということで紙で凹凸をチェック。
深夜、中央奥の方でひたすら縫っているのがクリスティーナ。
最終日前夜、本番と同じ生地でのサンプルが出来る。生地はザクロで染めて、表面は石のような柄に見える。もちろん今後は、様々な生地で作られていく予定。
現在アメリカ、セントルイスにあるPulitzer Arts FoundationというArt Museumにて9月12日までdosa stone pillowsとして展示されている。現代アートの作品展示が多く、建物は安藤さん。まだ出来たばかりの新しい美術館。クリスティーナはこの美術館とCollaboratorとして関わっている。
現在、まだ日本での展開は未定。何とか販売出来る事を願っている。
クリスティーナ邸。彼女とのものづくりから学ぶ事は非常に多かった。彼女の持つ建築、プロダクト、アートの知識は膨大であり、交友も幅広い。是非また何か一緒に作れたらと願っている。